Episode53 「汝すべし」から「我欲す」へ
目次
自己紹介
リツイートキャンペーン
福袋も転売ヤーがやってる
お便り
自己目的化
・自己目的化された行動なのに、目的が無い=意味がないと感じてやめたことがあるが、楽しむことが目的以上に重要と再認識
・子供の心=好奇心と理解
・人を笑かせたい欲求は承認欲求と思っていたが、相手の幸せへの寄与が目的と思い始めています
人を笑わせたいという感情はどこから来るのか?
sukesan1984.icon的には期待を超えたい
dmaggot.iconさん アメ配るようなもの
フットワークが軽いのは?
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本人で「かつて人類に贈られた贈り物の中で、最大の贈り物」と述べている
「私達はどう生きていけばよいか?」という問いに対してまっすぐ記している哲学書である 答えは「固定的な真理や価値じゃなくて、自分自身が価値を創造していかなくてはいけない」
四方八方に喧嘩を売るニーチェ
キリスト教批判
地に足がついてないものとして、現実に対して強く生きよと
キリスト教だけじゃなくて「進歩主義」「民主主義」「社会主義」「国家主義」など価値観すべてを否定している
ソクラテスは「よく生きるためには、何が良いことかを知らねばならない」と説くが、ニーチェに言わせれば、知ができることは限られている。
貴族的価値評価
自己の力が存分に発揮される自己陶酔的価値評価
僧侶的価値評価
自分じゃなく、神から見て判断される
神から判断を仰ぐというのは背後にはルサンチマンが隠されている 権力者や貴族には現実では勝てない。貧困で貧しい暮らしをしている人たちが、善い行いをしている私達こそが天国では救われるのだという気持ちの上での勝利がキリスト教を生み出したのだと言う話
格闘技でいうと
勝って俺つえー最高って思うのは貴族的価値評価
負けたほうが、自分はこれだけ頑張って、チャレンジしたこと自体が本当に価値があることなんだというのが、ルサンチマンから発生した僧侶的価値評価
よくない所
良い悪いの価値判断が規定されてしまうことでそこから外れたことをする創造性が生まれにくくなってしまう
ルサンチマンの弊害
悦びを求めて汲み取ろうとする力を失わせる
自分の人生を主体的に生きようという気力を失わせる
末人
ツァラトゥストラにとって最も軽蔑すべき人間のことですが、一言でいえば「憧れを持たず、安楽を第一とする人」です。
創造性を発揮することを推奨している
超人
神に変わる、新たな人類の目標
すべてを受け入れて欲する
永劫回帰
人生を何度も何度も繰り返すのだが、それをすべて受け入れ更に欲する状態を目指さなければ行けない
三段階のプロセス
ラクダ
自ら進んで重い荷物を持つ
獅子
この巨大な竜の名は「汝なすべし」である。だが獅子の精神は「われは欲する」という。
「いっさいの価値はすでに創られてしまっている。それはこのわたしなのだ。もはや「われ欲す」などはあってはならない」。と竜は言う。
自由を手に入れ、なすべしという義務にさえ神聖な否定をあえてするには、獅子が必要なのだ。
幼子
精神分析的に考える「人の正しい生き方」とは、実は「自分の欲望を諦めないこと」なんですね。これが現在、もっとも正しいとされています。